司馬さんは講演でも苔

苔(コケ)好きな司馬さんなら

もしかしたら講演でも苔のこと

なにか話しているかもしれない

と思い講演集を読み直しています。

 

『司馬遼太郎全講演』の第1巻に

苔寺の記述がありました。

 

「大化の改新と儒教と汚職」より

「室町の狂言、苔寺(西芳寺)、銀閣寺、

これらは東アジアのどの国も持っていません。」

 

このとき司馬さんは

普遍的ではないのだけれど

日本人の優れた感じ方について話しています。

 

それにしても

あの銀閣寺よりも苔寺が先!なんですね。

 

ちなみにこの講演は

司馬さんが四十代の後半

週刊朝日に『街道をゆく』を連載開始した頃

奈良で行われたものです。

 

 

このところ冷たい雨が多かったのですが

今日は爽やかに晴れました。

週末は暑くなりそうです。

 

 

司馬遼太郎全講演(1)1964-1974

 

ついでながら、苔寺!

司馬遼太郎の『歴史を紀行する』

四年半ぶり二度目の紹介です。

 

この作品は『街道をゆく』シリーズの

さきがけとなったといわれています。

 

前回(2013年10月3日)の投稿は

会津の山々の紅葉 でした。

 

今回、読み直してみたら

苔寺(こけでら)の記述がありました。

 

「〝好いても惚れぬ゛権力の貸座敷(京都)」より

「橋を西へ渡ると、

松尾大社という古社が鎮まっている。

ついでながらその南の谷に苔寺がある。」

 

苔寺というのはもちろん西芳寺のことです。

 

ここでの文章はあくまで松尾大社のことで

苔寺・西芳寺はまったく関係ありません。

 

ここでの一文以外には

苔寺・西芳寺に関する記述は一切なし

本当についでながら!の登場なんです。

 

たまたま近くにあるというだけで

唐突に「苔寺」と書くなんて

司馬さんはやっぱり苔好きですね。

 

 

昨日はからりと晴れました。

ツツジの花が咲いています。

来週は五月、皐月ですね。

 

新装版 歴史を紀行する (文春文庫)

 

街道をゆくシリーズの苔

苔(コケ)の記述を探しながら

『街道をゆく』シリーズ1巻から43巻まで

なんとか全巻を読み終わりました。

 

1巻を読んでの

街道をゆく1・苔(コケ)

を投稿したのが2014年9月28日。

 

最後43巻の

街道をゆく43・ひとみどり

を投稿したのが2018年2月9日ですから

3年4か月ほどかかりましたね。

 

苔の記述は予想以上にありました。

全43巻のうち30巻には苔が登場します。

 

スギゴケやゼニゴケなど

具体的なコケ植物の名もありました。

やはり司馬さんは苔好きですね。

 

以下

各巻の苔・シダ・モミジの記述一覧です。

 

1巻 苔、水苔、翠苔(すいたい)

2巻 苔

3巻 スギゴケ、ゼニゴケ、苔むす

4巻 冬苔

5巻 なし(モンゴル紀行)

6巻 苔むす、苔

7巻 苔むす、歯朶(シダ)

8巻 苔、蘚苔類

9巻 捨て苔、苔、苔むす、シダ類

10巻 苔、羊歯(シダ)

11巻 なし(肥前の諸街道)羊歯、楓

12巻 苔むす、蘚苔

13巻 枯れ苔、苔、羊歯

14巻 銭苔、苔むす

15巻 なし(北海道の諸道)泥炭

16巻 苔、叡山苔(シダ植物)、草苔、楓

17巻 苔、銭苔、青苔(せいたい)

18巻 苔、杉苔、ヒノキゴケ、オキナゴケ

19巻 苔、蘚苔類

20巻 なし(中国・蜀と雲南のみち)羊歯

21巻 草苔(そうたい)、羊歯

22巻 なし(南蛮のみち1)

23巻 なし(南蛮のみち2)

24巻 苔むす、楓

25巻 掃苔(そうたい)、カエデ

26巻 苔、楓

27巻 苔、羊歯、苔古び、紅葉

28巻 苔、紅葉、黄葉

29巻 なし(秋田県散歩・飛騨紀行)紅葉

30巻 なし(愛蘭土紀行1)羊歯

31巻 苔、蘚苔

32巻 苔、苔むす、コケ、シダ、蘚苔類

33巻 苔、苔むす

34巻 苔、苔むす

35巻 なし(オランダ紀行)

36巻 なし(本所深川散歩・神田界隈)

37巻 苔むす、歯朶、紅葉

38巻 苔

39巻 なし(ニューヨーク散歩)黄葉

40巻 苔

41巻 なし(北のまほろば)ワラビ

42巻 苔筵、苔

43巻 なし(濃尾参州記)

 

もう1巻の内容は忘れました。

またゆっくりと最初から読み返します。

 

 

昨日は雪がふりました。

二月末までは寒さが続きそうです。

もうすぐ三月ですね。

 

司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ

 

街道をゆく43・ひとみどり

『街道をゆく43』は美濃、尾張、三河です。

街道をゆくシリーズの最終巻となりました。

 

苔(コケ)、シダ、モミジは登場しません。

 

芭蕉の句がひとつ書かれていました。

 

「襲撃」より

「はつ秋や海も青田の一みどり」

 

芭蕉が鳴海の宿で詠んだ句だそうです。

 

司馬さんは桶狭間に来ています。

信長が今川義元の首をとった場所です。

 

現在、桶狭間の戦いの古跡は

名古屋市緑区になっています。

 

昭和三十八年に旧鳴海町域が

区になったようですが

当時はまだ緑が多かったのでしょうか。

 

司馬さんによると緑区の名は

芭蕉の句からとられたという

説もあるそうです。

 

 

立春を過ぎて暦の上では春です。

とても寒い日が続いていましたが

昨日、今日と少し暖かく感じました。

明日は気温も上がり雨になるそうです。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
43・濃尾参州記

 

街道をゆく42・苔筵

『街道をゆく42』は鎌倉と横須賀です。

 

鎌倉で苔(コケ)が登場しました。

 

まずひとつめの苔。

 

「化粧坂」より

「夜具は筵(こけむしろ)だったという」

 

化粧坂(けわいざか)は鎌倉七口のひとつ。

鎌倉時代後期、二条という公家の娘が

出家して鎌倉に向かいました。

鎌倉に入る前夜、江ノ島の岩屋に泊ります。

旅装の上に重ね着し

筵のような苔の上でやすんだようです。

 

ちなみに万葉集には苔筵の歌があります。

「み吉野の青根が峰の苔むしろ

誰が織りけむ 縦緯(たてぬき)なしに」

 

 

ふたつめの苔。

 

「青砥藤綱の話」より

「それらの岩肌が、湧き水に濡れて、

さまざまなを育てている。」

 

司馬さんは鎌倉七口のひとつ

朝比奈切通を歩きました。

 

執権北条泰時のときにつくられたこの道は

昭和31年まで700年以上使われました。

いまも土の道のままで

ハイキングコースになっています。

 

ちなみに

青砥藤綱(あおとふじつな)は

執権北条時頼に仕えた武士です。

 

鎌倉の滑川に落した10文を

50文かけて松明を買い捜したという

逸話が『太平記』にある人物です。

 

司馬さんが子どものころには

教科書にのっていた有名な話だそうです。

聞いたことがあるような気もしますね。

 

 

22日に降った雪がまだ所々残っています。

ほんとうに寒いですね。

明日からもまだ寒い日が続きそうです。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
42・三浦半島記

街道をゆく41・ワラビ(蕨)

『街道をゆく41』は青森県です。

 

青森県には苔スポットとしても有名な

奥入瀬渓流があるので期待したのですが

残念ながら苔(コケ)は登場しません。

 

シダ植物のワラビの記述がありました。

 

ひとつめのワラビ。

 

「岩木山と富士山」より

「この丘は、

春は、ワラビの宝庫だという。」

 

司馬さんは、太宰治が生まれた

津軽半島のつけ根の金木町にいます。

 

太宰治の作品『津軽』に

町はずれの高流(たかながれ)という

地名の小山?だか丘がでてきます。

 

津軽富士とも呼ばれる岩木山は

この丘から眺めるとじつに美しいという。

 

 

ふたつめの蕨(わらび)。

 

「斗南のひとびと」より

「食べものとえば、わずかな扶持米と稗、

それに山野を歩いて採った葛や蕨」

 

戊辰(ぼしん)戦争に破れた会津藩は

青森県下北半島にうつされ

斗南藩(となみはん)と名を変えた。

 

蕨(わらび)は

まだ葉のひらいていない若芽を食べたり

根茎から取れるデンプンで

ワラビ餅をつくったりします。

 

蕨の葉がひらくとシダそのものです。

 

 

昨日は日差しがあたたかでした。

今日は晴れているのに気温が低いです。

明日も寒さが続きそうです。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
41・北のまほろば

街道をゆく40・苔のように

『街道をゆく40』は台湾です。

 

苔(コケ)が唐突に登場します。

 

「伊沢修二の末裔」より

「ふつうの言語は、

(こけ)や昆虫や人間の皮膚、

粘膜、細菌のように、

有機質(いきもの)である。」

 

有機質とは有機物を含んでいるもの。

有機物は生物由来の物質のようです。

つまり「いきもの」なんですね。

 

コトバは生きものである。

これを説明するのに

有機物の例として最初に書かれたのが

苔(コケ)。

 

苔好きの司馬さんならではですが

ここで苔が登場するとはね。

意表を突かれました。

 

ちなみに

伊沢修二は、明治の教育者。

『小学唱歌集』を編纂し

明治の音楽教育に圧倒的な

影響を与えた人物だそうです。

 

 

寒い日が続いています。

朝昼の寒暖差が大きいようです。

ベランダのモミジの紅葉が

先週より鮮やかになったかも。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
40・台湾紀行

街道をゆく39・黄葉

『街道をゆく39』はニューヨークです。

 

予想どおりですが残念ながら

苔(コケ)もシダも登場しません。

 

ほとんど植物の記述がないのですが

黄葉という言葉がありました。

 

「平川英二氏の二十二年」より

「その秋は、

むろんオールバニーの秋である。

黄葉した木立のなかを、

毎日スクールバスが迎えにやってくる。」

 

平川英二氏はニューヨーク在住の知識人で

司馬さんを案内した方です。

 

平川氏のお嬢さんから

司馬さんは手紙をもらいました。

 

「NYでの最高の季節は秋です」

と書いてあったそうです。

 

司馬さんは紅葉ではなく

黄葉と書きました。

 

ニューヨークにもモミジ・カエデや

色づく木々はたくさんあるでしょうが

黄色く色づく葉が多いのでしょうか。

 

ちなみに

ニューヨーク州の州都は

ニューヨーク市ではなく

オールバニーなんですね。

 

 

十月の末に台風22号が通り過ぎて

すぐに木枯らし1号が吹きました。

朝夕の気温がぐっと下がってきました。

 

ベランダのモミジはまだまだですが

近所のイチョウの葉は

黄色く色づき始めました。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
39・ニューヨーク散歩

街道をゆく38・苔を食べる

『街道をゆく38』は北海道の北部

宗谷岬から北東部の知床半島まで

オホーツク海沿岸の旅です。

 

苔(コケ)が意外なことで登場します。

 

まずひとつめの苔。

 

「マンモスハンター」より

「乾いた草原にすみ、草や

木の実、草の実を食べていた

おとなしい動物である。」

 

氷河時代の北海道には

マンモスが棲んでいたそうです。

マンモスが食べていたのは

とんな苔だったのでしょうね。

 

そして

ふたつめとみっつめの苔。

 

「樺太からきた人々」より

「トナカイは寒地に生き、

主としてを食べる。」

 

「大岬」より

「トナカイの好物の白い

ツンドラを覆っている」

 

トナカイが食べる白い苔とは

トナカイゴケともよばれるハナゴケ。

ハナゴケはコケ植物ではなく地衣類です。

 

何度か書いていますが

「苔」というのは

コケ植物、地衣類、小さなシダ植物を

含む言葉なんですね。

 

コケと名のつく地衣類は多いですが

ハナゴケもそのひとつです。

 

それにしても司馬さんは苔好きですね。

動物が食べる苔のことまで

書いておいてくれました。

 

 

今日は曇り、ひんやりしています。

去年の今頃と比べると

だいぶ気温が低いようです。

もうすぐ寒露ですね。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
38・オホーツク街道

街道をゆく37・苔や歯朶

『街道をゆく37』は本郷界隈です。

 

苔(コケ)とシダ(歯朶)

それにモミジ(紅葉)も登場します。

 

まずは苔とシダ。

 

「無縁坂」より

”『雁』では「蒸した

石と石との間から、

歯朶や杉菜が覗いていた」といい”

 

東大医学部裏手の鉄門から

上野不忍池に向かって下る坂が無縁坂。

 

明治の文豪、森鴎外の小説『雁』では

主人公の青年が日課のように

この無縁坂をくだって散歩をします。

 

無縁坂の南側には

旧岩崎邸の石垣が続いています。

 

明治時代の石垣は苔むして

シダが生えていたようですが

司馬さんが訪れたときには

戦後に作りかえられた石垣のようで

石と石の間に隙間はありませんでした。

 

鴎外の書いた歯朶(シダ)の朶は

しだれるという意味の字ですね。

 

ちなみにスギナもシダの仲間です。

スギナの胞子をつける特別な茎が

春先に芽生えるツクシですよ。

 

 

つぎはモミジです。

 

「近藤重蔵」より

「重蔵三十八歳のとき、

江戸城の紅葉山(もみじやま)文庫の

御書物奉行になった」

 

近藤重蔵は江戸後期の旗本で北方探検家。

北海道や千島を踏査し

択捉島に「大日本恵登呂府」という

木標をたてた。

 

江戸城内の紅葉山という丘の麓に

将軍の図書館があったようです。

今は皇居の紅葉山御養蚕所です。

 

紅葉山は楓山と書くこともあったとのこと

モミジ・カエデの丘だったのでしょうね。

 

 

先週(2017年9月2日放送)のブラタモリで

奥入瀬渓流の苔が登場しましたね。

タモリさんも苔の観察をしていましたが

女性アナウンサーのほうが興味ありげで

「コケガール誕生!?」の文字が。

 

 

昨日は白露

朝晩は涼しい日が続いています。

明日は重陽、菊の節句ですね。

 

 

『街道をゆく』司馬遼太郎
37・本郷界隈